導入:ペットボトルとむせ込みの矛盾
ハル:「広田先生、ちょっと教えてください!佐藤さん、ご家族が持ってきたペットボトルを自分でラッパ飲みするときは、あんなに上を向いても全然むせないんです。でも、私がコップでお茶を飲ませようとすると、少しでも上を向いた瞬間に激しくむせちゃって…。同じ『上向き』なのになぜですか?」
広田PT:「…ハルちゃん、それは佐藤さんの飲み込み機能が悪いんじゃない。君の介助が、佐藤さんにとって致命的な『不意打ち』になっているからだ」
ハル:「ふ、不意打ち…ですか!?」
広田PT:「ああ。人間が上を向いて安全に水分を飲めるのは、喉の奥に『最強のダム』を建設している時だけだ。介助される側には、そのダムを作る時間がない。ノートを開け」

解説:奥舌ダムの建設と決壊のメカニズム
「姿勢を正しく、顎(あご)を引いて食べましょう」。介護の教科書に必ず書かれているこの言葉。
しかし、ふと日常を見渡すと、ある矛盾に気付く。健常者はペットボトルを飲むとき、あるいは歯磨き後の「ガラガラうがい」をするとき、グイッと上を向いている。

上を向くと気管に水が流れ込むから危険なはずなのに、なぜ我々はむせないのか。この謎を解くカギは、喉のふた(喉頭蓋)ではなく、実は「舌」の驚くべき働きにある。
1.上を向いて「飲む」感覚の実験
まずは、自分の身体で試してみるのが早い。口の中に多めの水を含み、思いっきり上を向いて、口の中の水を保持する。そして勢いよく飲み込んでみる。

上向きになった際、水がいきなり喉の奥に流れ込まず、口の中でピタッと留まっていたのが分かるはずだ。そして自分が飲み込むタイミングを作った瞬間にだけ、口の奥の「どこか」を緩め、水を食道へと流し込んでいる。果たして「どこで」、水をせき止めていたのだろうか。
2.奥舌という「随意的なダム」
我々が上を向いて水を飲むとき、喉の奥では「奥舌(舌の根元)」が上顎(軟口蓋)にピタッとくっつき、分厚い筋肉の壁(ダム)を作って水をせき止めている。
これは自分の意思でコントロールできる「随意的」な動きである。「よし、今だ!」という自分のタイミングでダムを放流し、同時に嚥下反射(無意識な喉のフタの閉鎖)をセットで起動させる。
この「舌による保持+完璧なタイミング」があるからこそ、我々は上を向いていても安全に飲み込めるのだ。

3.なぜ「上向きの介助」はダムが決壊するのか
では、なぜ高齢者の食事介助で上を向かせることが、これほどまでに危険だと言われるのだろう。
- 理由①:不意打ちによるダムの建設遅れ
食事介助は、利用者にとって「いつ、どれだけの量が、どんなスピードで来るか分からない」という受け身の行為である。ペットボトルの時のように、脳が予測して自分のタイミングで「奥舌のダム」を準備することが出来ない。不意打ちで流し込まれた水は、ダムが完成する前に喉の奥へと一気に滑り落ち、気管(肺の入り口)へと直行する。 - 理由②:経年劣化によるダムの耐久性低下
加齢や麻痺などで舌の筋肉が弱くなっている利用者にとって、重力に逆らって奥舌のダムを高く維持するのは至難の業である。上向き姿勢での介助は、いわば「老朽化したダムの壁を人為的に低くし、そこに外から強い水圧をかける」ような暴挙なのだ。

4.ダムを再建するための物理戦術
介助によって水分を提供する際、我々が取るべき戦術は2つである。
- 戦術①:重力を味方にする(顎を引く)
顎を引いて「経度前屈位」を作ること。これにより、奥舌のダムが弱っていても、口の前の方(歯の裏側)に水が溜まるため、重力による喉への落下を物理的に防ぐことが出来る。

- 戦術②:ダムの建設工事(カ行と「うがい」)
「ガラガラうがい」は、水を喉の奥に保持したまま振動させる、奥舌の最強の筋トレである。また、パタカラ体操の「カ」は、奥舌を上顎に打ち付ける発音形態だ。食事前に「カ行」の言葉を復唱したり、うがいをしたりすることは、ダムを高く建設するための極めて理にかなった物理トレーニングとなる。


結び:ハルの気付き
ハル:「私が良かれと思って手伝っていたのが、佐藤さんの『ダムを作る準備(予測)』を奪っていたんですね…」
広田PT:「ああ。だから自分でコップを持ってもらい、君は『手だけを添える』ようにすれば、佐藤さんの脳はダムを作る準備ができるはずだ」
ハル:「はい!明日から早速試してみます!」
【コラム】インド飲み?
因みに、この飲み方の俗称は「インド飲み」。インドでは、ペットボトルの水を回し飲みする際の「衛生面」への配慮から、このような飲み方をすると言われている(諸説あり)。

そういえば、日本でも同じ飲み方をする人を見た事があったっけ。ラグビーの「魔法のやかんの水」は有名だ。ドラマ「スクールウォーズ」の中でも、そんなシーンがあったような気がする。また「ドリフ大爆笑」では、やかんの水を使ったコントが多数あった。因みに、私の一押しは「ドリフ大爆笑~もしも過酷な刑事の取り調べがあったら~」。いかりや長介さんの「奥舌のコントロール」は絶品だったなぁ!

(引用;ドリフ大爆笑~もしも過酷な刑事の取り調べがあったら~)








