常識を疑えシリーズは、第7弾となった。ここまで「介護の常識」と呼ばれているものについて、ちょっと違った切り口で論じてきた。
今回は「食事時の頭の位置」について考えてみよう。キーワードは「前屈位」と「軽度前屈位」、この2つの言葉の違いについて考察してみたいと思う。些細な違いに感じるかもしれないが、実は介護のセンスを問われる重要な視点なのだ。お暇があればご一読を…。
食事時の正しい頭の位置とは…?
まずは腕試しから。食事姿勢に関する看護師国家試験を解いてみよう。
第90回看護師国家試験
<126問> 嚥下障害のある患者に嚥下反射を起こしやすくするための食事介助で適切なのはどれか。1.頚部を前屈位にする
2.口に運ぶ1回の分量はなるべく少なくする
3.食物を舌の先端に置く
4.側臥位のときは舌の麻痺側を下にする<答え>
1.頚部を前屈位にすると咽頭と気管に角度がつき、食塊が食道に流れ込みやすくなる
さて、皆さん正解出来ただろうか。
更に見てみよう。正しい食事姿勢について、介護福祉士の養成テキスト「生活支援技術Ⅱ」 には、以下のように書かれている。
『安定した座位を保ち、頭部がやや前傾した姿勢をとると、誤嚥しにくくなります』
(引用;生活支援技術Ⅱ-第3版-、中央法規、P205)
以上より、教科書で語られている「食事時の正しい頭の位置」は「前屈位」となる。
なぜ「後屈位」ではダメなのか
それでは、なぜ頭を後ろに倒した「後屈位」は駄目なのだろうか。以下の3点から説明してみよう。
1.気道が開く
後屈位になると、舌が前方移動し、気道への通り道が広がる。すると必然的に、飲食物が肺に入り込むリスクが高くなるため、この姿勢は良くないとされている。
(参考;看護技術根拠のポイント -初版-、尾野敏明 著、GAKKEN)
2.嚥下反射が起こる前に飲食物が喉奥へ流れ込む
飲食物を食道へ送るためには「嚥下反射」が必要だ。飲み込みの際、下図の通り反射が起きると、肺への入口がしっかりと塞がれ、ムセを回避する事が出来る。
後屈位になると、嚥下反射が起こる前(肺への入口が塞がれる前)に飲食物が喉奥へと流れ落ちてしまう可能性があり、ムセのリスクとなるのだ。
3.口を閉じることが出来なくなる
後屈位になると、口が開いてしまい咀嚼や嚥下が難しくなる。実際にやってみると分かり易いだろうか。以下の実験を試してみよう。
- 実験1-
①思いっきり上を向いてみる。
②もし口が開いてしまったら、口をしっかり閉じてみよう。
口が閉じにくいことを実感できただろうか。実は頚の前側に位置する筋肉(前頚筋群)は、顎(あご)とつながっている。上を向くことで、この筋群が顎を下方向へ引っ張るのだ。これが「頭を後ろに倒すと口が閉じにくくなる」メカニズムとなる。
過度の前屈位は逆効果!
ここまで述べてきたように、食事時の正しい頭の位置は「前屈位」であることが分かった。しかし、ここで大きな落とし穴がある。実は「過度の前屈位」は、開口を困難にしてしまう可能性があるのだ。以下、2つの視点で説明してみよう。
1.筋力は「筋の長さ」に影響を受ける
下図は「張力-長さ曲線」と呼ばれているものである。実は、筋力を最大限に発揮するための「適切な関節角度」というものが存在する。例えば、肘をぎゅっと曲げた時を想像してみよう。その時、肘を曲げる筋肉である上腕二頭筋の「筋の長さ」は短くなっている。逆に肘を思いっきり伸ばした時は、長くなっているのが想像できるだろうか。
筋力を最大限発揮できるのは、「筋の一番自然な長さ(生体長)」の時である。
例えば前述した「肘を曲げる動作」では、肘の角度「90度」付近で最大筋力が発揮し易いとされている。
例えば「膝を伸ばす動作」では、膝の角度「70度」付近で最大筋力を発揮し易いとされている。
本題に戻ろう。
頭の位置が「過度の前屈位」になるとどうなるか。頸の前方に位置する前頸筋群は緩んでしまい、筋力を発揮しにくくなる。つまりこの姿勢では、開口しにくい可能性があるということだ。
2.顎の下の「隙間」に影響を受ける
更に別の視点から考えてみよう。人間の顎の下には「隙間」がある。この隙間は何のために空いているのか考えたことがあるだろうか。
神様が様々な理由から作ったのかも知れないのだが、その理由の一つは「口を開けるため」である。「顎関節」を支点として、弧を描くように顎が下方向へ動くのだ。
これを理解するため、もう一つ実験をしてみよう。
- 実験2-
①正面を真っすぐ向いて、頭を動かさないようにし、その状態で口を開ける
②正面を真っすぐ向いて、頬杖を突いて顎を下からしっかり固定し、その状態で口を開ける
顎を固定する(②)と、口が開かないことを実感できただろうか。顎が下方向に動く根拠になると思う。以上より、「顎下の隙間は口を開ける為のスペース」だったという事がお分かり頂けただろうか。
それでは、いよいよ本題。下図の様な「過度の前屈位」を呈していた場合、どのような弊害が起こるのか想像してみよう。
もうお分かりだろう。過度の前屈位では顎が前胸部に当たってしまい、開口が困難となる。つまり、この姿勢で食事介助をしても、解剖学・運動学的に「口を開く事が出来ない」ことを理解しよう。
「前屈位」と「軽度前屈位」の違いは…
さて、最初に示した教科書「生活支援技術Ⅱ」の記載を、もう一度読んでみよう。
『安定した座位を保ち、頭部がやや前傾した姿勢をとると、誤嚥しにくくなります』
この「やや」という言葉がミソなのだ♪
常識を疑え
教科書に書かれていることを「忠実に」実践することは、身体の回復を目指す為にも、また安全を確保する上でも大切なことである。しかし実際の場面では、教科書通りにいかない事も沢山存在する。
今回は、細かい文言に注目してみた。「前屈位」と「軽度前屈位」。ほんの些細な違いに感じるかも知れないが、この違いに気付けない人は、介護技術がどんどん雑になっていく可能性がある。行間に込められた意味を、しっかりと理解する事が大切なのである。
おまけ ~洋式トイレの足元はなぜ窪んでいるのか~
隙間つながりで豆知識。トイレの足元にある「隙間」は何のためにあるのか…。
(関連記事;理学療法士H監修の「老化度判定表」)
実はこれは「足を引くための隙間」である。因みに、昔のポータブルトイレは裾が広がっていて足を引くスペースが無いため、とても立ち上がりにくい代物だった。
今のポータブルトイレは、きちんと改善されている。
足を引くことの可否については、「常識を疑え1 ~立ち上がりの時は足を引かなくちゃ駄目なのか~」で考察しているので、お暇があればご一読を。