今回は「常識を疑え」シリーズの第3弾。介護の「常識」と呼ばれるものについて、ちょっと違った角度から論じてみたいと思う。
「移乗動作は健側方向へする」...そんな常識が介護の教科書には載っているのだが、実は「患側方向へ移る」ことの方がもっと重要なのだ。お暇があればご一読を…。
片麻痺の移乗介助は健側方向へ…
「車いすからベッドに移る時は健側方向へ移る…。」
介護の職員さんなら、誰もが知ってる方法論である。では、もしも新人職員さんが移乗介助をする時に「患側方向」へ誘導してたら、あなたはどう思うだろうか。
しかし良く思い出してみよう。ベッドサイドの場面において、移る時は健側方向へ介助するが、戻る時は患側方向へ介助していないだろうか。もし新人さんに「先輩!戻る時は何で患側方向なんですか」と聞かれたら、貴女は何と答えるのだろう。
用語解説
〜「健側」「患側」「麻痺側」の意味について〜
なぜ健側方向へ移乗するのか
健側方向へ移乗すると…
①健側の上肢で、しっかりとアームレストを掴むことが出来る。
②健側の下肢で、身体をしっかり支えることが出来る。
③健側の上下肢で、しっかり身体を半転させて座ることが出来る。
患側方向へ移乗すると…
④患側の上肢を使えないため、身体をねじって健側の上肢でアームレストを掴む。
⑤患側の下肢が弱いため、身体を支えることが出来ない。
⑥身体を半転させることが出来ずに崩れる。
介護福祉士国家試験テキストより
「介護福祉士一問一答問題集(2016年度版)」より、問題を解いてみよう(一部変更)。
<問題> 片麻痺の利用者が、車椅子からベッドに移乗する場合は、利用者の「患側」にベッドが来るよう車椅子をセッティングする。
<答え> × 利用者の「健側」にベッドが来るようにする。
このように、国家試験を見ても「健側方向」へ移乗することを推奨している。
全て健側回りでのセッティングは可能か
さて、そもそも実際の場面において、健側方向だけでベッド環境をセッティング出来るのだろうか。
下図は、右麻痺の利用者様がベッドへ移ろうとしている所である。健側方向に移るのが正解だから、ベッドが自分の左側に来るように車椅子を置いている。
さて、ベッドへ移った利用者様が、今度は車椅子へ戻ろうとする。しかし、下図の位置に車椅子があるので「患側方向」へ移ることになるだろう。もし「健側方向」へ移ろうと思ったら、車椅子を動かさなくてはならない。
このセッティングは可能なのか
健側方向へ移乗する為には、下図の場所に車椅子を置く必要がある。つまり「ベッドへ移る時」と「車椅子へ戻る時」では、車椅子の位置は反対になるという事だ。
しかし実際の場面で、この場所に車椅子を置けるのだろうか。そもそも誰が車椅子を反対側へ運ぶのか…、もし介助バーがあったらどうするのか…など、様々な問題点が浮かんでくる。
ある施設の例を見てみよう。ここでは試行錯誤の結果、以下のような健側周りのセッティングを行なっているという。
それは何と...ベッドへ寝かせるときは右側(健側)から移乗介助を行ない、ベッドから起こすときには逆に左側へ起こすというものだ。つまり、ベッドの向こう側に車椅子を移動させるという荒技である。確かにこれなら行きも戻りも健側方向になるだろう。
しかしこの場合も、車椅子を反対側へ運ばなくてはならず、更に右麻痺で寝ている利用者様は「右側(麻痺側)」へ起きなくてはならなくなり、新たな問題となる(関連記事『常識を疑え6 〜なぜ寝返りは患側方向じゃダメなのか』)。良く考えたけど、スタッフも利用者も大変だろうなぁ...。
以上より、健側方向のみを目指したセッティングは、現実的に難しいということである。
「○○○知恵袋」の質問コーナーより
『うちの施設の上司が、ポータブルトイレを患側に置けって言うんです。でも教科書では健側に置けって書いてあるし・・・。どちらが正解なんでしょうか。』
さて、この質問にきちんと答えられるだろうか。ヒントは、上で述べた「健側方向セッティングの問題点」と、次に紹介する「看護師国家試験問題」。頑張って解いてみよう。
第98回 看護師国家試験問題 問題3(一部変更)
<問題> 右片麻痺患者のベッドサイドにポータブルトイレを置く位置を図に示す。適切なのはどれか。
答えは「②」
看護師国家試験の解答を見ると、「健側方向へ移るため、②である」と述べられている。当施設の勉強会では、答えが②と③に分かれた。何故だろう。
「結局行きは健側方向だけど、帰りは反対の患側方向になるじゃない!」「②に置いたら移動バーが付けられないよね」「車椅子はどこに置くの?」など様々な意見が出た。まさに「机上の理論」と「現場の理論」。現場の経験がある人ほど、答えに悩むのかも知れない。
「健側方向を優先するのか」「ベッドサイドの配置を優先するのか」、本当は健側方向が安全で良いと思うのだけれど、実際のベッドサイドの環境では、患側方向を容認せざるを得ないという事なのだろう。
患側方向への移乗訓練
健側方向だけを目指したセッティングは難しいことが分かった。実際には患側方向への介助が暗黙の了解のうちに行なわれている。しかし国家試験レベルを見ると、いまだに患側方向への移乗介助は間違いだとされているのだ。この矛盾が、前述「○○○知恵袋」のような質問に繋がっているものと思われる。
「潜在力を引き出す介助」の著者である田中氏は、患側方向への移乗介助を想定した「逆移乗トレーニング」が必要であると述べている。つまり患側方向への移乗を否定しないということだ。もしあなたが介護職員なら、様々な場面で移乗介助をする機会があると思う。付き添いが出来る時には健側回りに固執せず、あえて難しい「患側方向への移乗」を練習することをお勧めしたい。
ここで1つ注意! 移乗動作の時に、介助バーがあるのと無いのでは大違いなんです。その効用については、以下の記事を読んで押さえておきましょう。
常識を疑え
教科書に書かれていることを「忠実に」実践することは、身体の回復を目指す為にも、また安全を確保する上でも大切なことである。しかし、実際の場面では教科書通りに行かないことも沢山存在する。もう一度、介護の「常識」を見直してみようではないか。
さて、冒頭の新人職員さんの言葉、「先輩!戻る時は何で患側方向なんですか」という質問に、自分の言葉できちんと答えてみよう。