



新人時代、事務所の電話が鳴るだけで寿命が縮む思いをした経験は、誰にでもあるだろう。しかし、この「音に対する恐怖」は、単なる電話対応への苦手意識だけで片付けられるものではない。
訪問看護の事務所で鳴る電話も、介護施設の夜勤の詰所で鳴り響くナースコールも、本質は全く同じである。
突然、空気を切り裂くあの電子音。その瞬間、喉の奥は砂漠のように渇き、心臓が肋骨を突き破らんばかりに暴れ出す。
「もし、自分の対応一つで取り返しのつかない事態を招いたら…」「もし、受話器の向こうが怒号に満ちていたら…」
受話器、あるいはナースコールに手を伸ばすまでの僅か数十秒。私たちの脳内では、最悪のシミュレーションが100通りも駆け巡っているのだ。
呼び出し音は「自分の名前」を呼んでいる
本来、電話のベルもナースコールも、ただの物理的な信号に過ぎない。だが、余裕のない新人にとって、あの音は次第に「言葉」を持ち始める。音の中に、「お前に何ができるんだ?」という冷徹な問いかけを聴き取ってしまうのだ。
「ほら、お前の出番だぞ」「早く来い、無能め」「化けの皮を剥いでやる」
そう聞こえ始めた瞬間、あなたの心は現場に充満する「毒」に、じわりと侵食され始めている。
「ナースコールを隠す人」へと堕ちる予兆
私はかつて、「ナースコールを隠す人、それを見て震える人」という記事を書いた。あの時、利用者のナースコールを隠すという禁忌に手を染めた職員たちも、かつては今のあなたと同じように、あの音におびえ、震えていたはずなのだ。
彼らは、音への恐怖を正しく処理できず、心がホワイトアウトした果てに、ボタンを隠すという歪んだ「自己防衛」を選んでしまった。そう考えると、今あなたが感じている「逃げ出したいほどの恐怖」は、まだあなたの心が死んでいない証拠だ。人間らしい倫理観が、正常に機能している証なのである。
震える指先で「境界」を越える
しどろもどろになりながら対応を終え、受話器を置く。居室へ向かい、震える手でケアを完遂する。誰もいない夜勤の廊下で、深く息を吐く。
そのあとの、全身から力が抜けるような、情けないほどの安堵感…。
実は、この「恐怖」と「安堵」の反復こそが、あなたを「生身の人間」から「プロの表現者」へと作り替えていくのだ。
あの日の震える手。あの日の冷や汗。それは、あなたが現場の闇に立ち向かうための「通過儀礼」だ。音が鳴るたびに跳ね上がる鼓動は、あなたが「命」を預かる現場に立っている、何よりの勲章なのである。
鳴り響く音におびえる自分を、どうか恥じないでほしい。その恐怖こそが、いつか誰かの絶望を照らす「灯火」へと変わるための、大切な種火なのだから。







