



受診を勧めるべきか、様子を見るべきか。
冒頭の漫画で描いたように、対人援助職において「どちらが正解だったか」は、常に結果論でしか語られない。右を選んでも左を選んでも、事態が悪化すれば私たちは激しい後悔にさいなまれる。
居室のドアノブには、目には見えないが、確実に一枚の看板が掲げられている。そこには血文字でこう書かれている。
「猛犬(責任)注意!」と。
私たちが「決断」を迫られて足がすくむとき、本当に恐怖しているのは「利用者の事態が悪化すること」そのものではない。
事態が悪化した後に、暗がりから飛び出してきて「お前の判断ミスだ!」と自分のキャリアや精神をボロボロに噛みちぎる、周囲からの糾弾という名の「猛犬」なのだ。
現場の猛犬は、常に「いけにえ」を捜している
介護現場という檻の中には、常に腹を空かせた猛犬が放たれている。利用者が転倒したとき。体調が急変したとき。猛犬は真っ先に「第一発見者」や「最後に判断を下した者」の元へ駆け寄る。
「なぜ、もっと早く報告しなかった?」「なぜ、勝手な判断で様子を見た?」
教科書は「適切なアセスメント」を求めるが、現場の猛犬が求めているのは医学的な正解などではない。ただ噛みつくための「ターゲット(いけにえ)」を探しているだけだ。
この残酷な構造を理解せずに、ただ真面目な顔で「私が責任を持って判断します」と門を叩くのは、あまりに無防備すぎる。
「お主も悪よのう」と犬の鼻先を撫でる
ここで、前章(第7章)で身につけた「したたかな悪役のスタンス」を再び発動させよう。
猛犬が吠え、牙を剥いて向かってくるとき、おびえて逃げてはいけない。ましてや「私の判断が悪かったです」と無防備に喉元を差し出すなど論外だ。
不敵に笑い、心の中でこう呟くのだ。「ほう、私を噛もうというのか。お主もなかなかの悪よのう…。だが、そう簡単には食われんぞ」。
決断を下す際、私たちは「100点の正解」を選ぼうとするから足がすくむのだ。そうではなく、「どう転んでも、絶対に犬に噛ませないための外堀を埋める」ことに全神経を注ぐのである。
生存戦略:猛犬を飼いならす「3つの手口」
- 「共犯者」を増やす(バリケード):
自分の独断にしないこと。どんなに些細なことでも、ケアマネージャーや管理者にボールを投げて(報告して)おく。猛犬が来たとき、「私個人の判断ではなく、組織として情報を共有し、判断したことです」という堅牢なバリケードを築くのだ。 - 「違和感」を記録という名の盾にする:
判断の根拠を、あえて血圧や体温といった数値(教科書的なデータ)だけでなく、「いつもと違う匂いがした」「顔つきの生気がない」といった「現場で感じた生々しい違和感」として記録に残す。猛犬は、こうした個人のプロとしての感性に根差した防衛線には噛みつきにくい。 - 「空振り」を面白がる:
大騒ぎして救急車を呼び、受診させた結果、何事もなかったとき。怒られるのを恐れるのではなく、舌を出して笑ってやればいい。「猛犬を無駄足にさせてやった。私の勝ちだ」と。
結び:檻の外へ、颯爽と退場する
プロにとっての「決断する勇気」とは、全責任を背負うヒーローになる勇気ではない。「どんな結果になろうと、自分だけは傷一つ負わずに生還する」という、したたかな悪役の覚悟のことだ。
猛犬は今日も、現場のどこかで誰かがミスをするのを、手ぐすね引いて待っている。だが、あなたが不敵に笑い、「お主も悪よのう」と犬の鼻先をあしらいながら扉を開けるとき、猛犬はその牙を収めるしかない。
決断の重圧を楽しめ。孤独な門の扉の向こう側で、優雅にケアを完遂し、無傷で立ち去る。それこそが、現場という名の迷宮を生き抜く、プロフェッショナルな「役者」の正体なのだ。







