介護現場は、常に「正しさ」の衝突地点だ。「この方法が正しい」「あなたのやり方は間違っている」…。
お互いの「正義」を硬いセトモノのようにぶつけ合わせれば、結果はどちらも無残に砕け散る。
だが、相田みつをさんは教えてくれる。「どっちかが柔らかければ大丈夫」だと。これは、道徳の話ではない。心が折れないための、極めて実践的な話である。
『セトモノとセトモノと
ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう
どっちかやわらかければだいじょうぶ
やわらかいこころをもちましょう
そういうわたしはいつもセトモノ
街の機嫌はこわれやすいものだから。
おおらかな気持ちでいることも
りっぱな公共心です』
「正しさ」は、ガラスと同じで脆い
私たちは「自分が正しい」と思っているとき、心の柔軟性を固めてしまう。量子力学的に言えば、自分の観測を「0か1か」のガチガチな状態にフリーズさせているのだ。
相田みつをさんの言うセトモノなど硬い物質は、形を変えない強さがある反面、限界を超える衝撃を受けると、一気に破壊される。
「私は正しい。だから相手が変わるべきだ」という硬い心で現場に立つことは、自分の心を「壊れやすいセトモノ」にして戦場に放り込むようなものだ。
そんな脆い装備で、複雑な人間関係を生き残れるはずがない。
90歳のAさんが見せた「脳のアップデート」
リハビリ室で、相田みつをさんの言葉をノートに写していた90歳のAさん。彼女は「思っていても出てこないから、忘れないように写している」と言った。

この行動は、単なる「お勉強」ではない。自分の脳の中に、常に「柔らかい選択肢」を取り込み続ける「脳のアップデート」だ。
年を重ねると、身体という器は硬くなる。だからこそ、彼女は意識的に心の柔軟性をメンテナンスしていたのだ。
周囲がピリピリしていても、Aさんがいるだけで場が和むのは、彼女が「どんな衝撃も吸収してしまう、高性能なクッション」としてそこに存在しているからである。
柔らかさとは「あきらめ」という高度な技術
柔らかい心とは、単に我慢することではない。
「まあいいか」「そういう考えもあるかもね」
そうやって自分の立ち位置をわずかに「変化」させる能力のことだ。
ダイソーで売っている「衝撃吸収パッド」を思い出してほしい。あれは柔らかいからこそ、重い家具の振動を消し去ることが出来る。「北風と太陽」の旅人が上着を脱いだのも、太陽が旅人の頑なな心を「優しい温かさ」でゆるめたからだ。
「正しさ」を振りかざして相手を力でねじ伏せようとするのは、北風のような「古い物理学」である。プロの介護職なら、太陽のように相手の「器」をゆるめ、自ら形を変えさせる「高次元の技術」を使うことだ。
壊れない心を得るためには
介護の現場で長く生き残る秘訣は、自分を「守るべき高価な一点物(セトモノ)」だと思わないことである。自分を「どこまでも形を変えられる水」や「何度でも跳ね返すゴム」だと観測し直すこと。あなたが柔らかくなれば、現場の衝突エネルギーは行き場を失い、消滅する。
「正しい」よりも「柔らかい」ほうが、はるかに強い。
この物理法則を味方につけたとき、あなたの心はもはや誰にも壊されることはない。








