社会生活を営む上で、人とのコミュニケーションは避けて通れない課題である。どんなに嫌な相手でも、その場の空気を乱さない配慮と言葉選びが必要とされる。今回は、相手の本心を知るための「想像力」について考えてみたい。
心の声…
先日、友人のお父さんが他界した。脳死状態での1週間、大変な闘病生活だったようだ。全身を管と機械に囲まれて、唇は処置の繰り返しで血がにじみ、苦しさで歪んだ顔は見ているのが辛かったとのこと。「父はどんな思いで病魔と戦っているのだろう…」と、心の声を必死に探して耳を傾け続けたという。
私も、関連記事「ぽっくり死ぬことのリアル」の中で、以下のように記載している。
『私の実体験から…。ぽっくり逝くと、残された家族に悔いが残る。どんな思いで他界していったのかが知りたい。この世に未練が無かったのかどうか…』
本心を知ること
さて、これらのお話しに共通すること…、それは「本心を知ることの難しさ」である。一つ例を出して考えてみよう。電車の中の場面で、登場人物は「自分」と「おばあちゃん」である。
自分は席を譲ったことで、良いことをしたという感情を抱いている。更に「ありがとう」と言ってくれたので、相手も喜んでくれていると思い込んでいる。しかし実は、相手の本心は「私は席を譲られるほど年を取っていない!」と複雑な気持ちでいるのかも知れないのだ…。
このような事例は、実生活の中で山ほど存在する。嫌いな上司の顔色を伺って言葉を選んだり、合わない友人との会話に気を遣うこともあるだろう。これら社会活動がうまく出来ない人は、「空気の読めない人」などと表現され、トラブルの元となる。しかし実際に相手の本心を知ることは、なかなか難しいもの。どうしたら良いのだろうか。
想像力
この答えのヒントは、意外にも認知症の教科書に書かれていた。「現場で使える認知症ケア便利帖」の著者である田中氏は、次のように述べている。
『ここで大切になるのは、「今、その人が何を思い、どんな世界にいるのか」に思いを馳せることの出来る想像力です。スタッフの視点や思い込みだけで、その人との関係を築こうとしても、なかなか上手くいきません。だからこそ、自分がその人の世界に近づくことが必要になります』
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さらに映画の世界から一つ。「映画監督の伊勢氏」と「こだまクリニック院長の木之下氏」の会話から。
『映画が次の場面に進む前に、画面が真っ暗になることがありますが、あれも、映画の大事な一部なんです。見えないものを見、聴こえない音を聴き、その奥にあるものを想像する事も映画なんです』
(引用 ttps://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20110725-OYTEW58044/)
もう一つだけ。我々は「想像力」をどのようにして身に付けて来たのだろうか。あるお医者さんのブログ「うだうだ言わせて」から抜粋させて頂く。
保育園で人の物を盗ってしまって、先生に怒られる。「物を盗るのはいけないことです。盗られた◯◯クンの気持ちになったら、どう思いますか?」と諭される。「先生、ごめんなさい」が感情を伴えば、メタ認知の第一歩である。(中略)
そうして人は、さまざまな経験をストックさせて「先回りして」相手の気持ちを想像する事を学ぶようになるわけだ。
科学的根拠に乏しい個人的経験で申し訳ないが、想像力の豊かな人は視野が広く、人の事をよく観察している。そして、これはあくまで「私の想像」だが、彼らは日々、想像力を働かせるシミュレーションをしている』
(引用 ttp://attedef.blogspot.jp/2013/01/blog-post_29.html)
相手の気持ちに近づく唯一の方法
想像力を働かせること…、これが「本心を知る」ためのポイントなのだろう。「今どんな気持ちでいるんだろう」「表情が暗いけど何かあったんだろうか」「何をしてほしいんだろう」など、常に五感をフル回転させて相手の心情を読み解く「努力」をしている人は、人間関係を構築するのに長けている人と言える。そして想像力を豊かにする事こそが、相手の気持ちに近づく唯一の方法だと思っている。
『想像力は知識よりも大切である』
(理論物理学者 アルベルト・アインシュタイン)
さて、お父さんに耳を傾け続けた友人は、その心の声を聞くことが出来たのだろうか。例え出来なかったとしても、「想像力」を働かせ続けた努力とその想いは、必ずやお父さんを安らかな世界へと送り出すことが出来たものと信じたい。この場を借りて恐縮だが、ご冥福をお祈りする。