介護現場では、「性」の問題が起きたとき、施設には守るべきルールがある。事故を防ぎ、家族に説明し、共同生活の秩序を守る。
そのために「フロアを分ける」「接触を断つ」という決断を下すのは、組織を預かるリーダーとして避けられない仕事だ。
その処置を終えた後、現場の反応は二つに分かれる。
「これで一安心、ルール通りに出来てスッキリした」という安堵と、「形は整ったけれど、なんだか胸の奥がモヤモヤする」という、割り切れない重み。
この二つの感情の間に、私たちはどう折り合いをつければいいのだろうか。
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「スッキリ」はプロとしての責任感
ルールの従ってスッキリできるのは、あなたが「プロの守護者」として機能している証拠だ。
事故が起きれば、責任を問われるのは現場の職員であり、利用者自身だ。そのリスクを最小限に抑え、誰も傷つかない環境を整えることは、介護職にとって最も基本的で、かつ重要な使命である。
「決まった通りにやったのだから、これでいい」
そう思える強さがなければ、この過酷な現場で毎日を戦い抜くことはできない。そのスッキリ咸は、あなたが組織の一員として、誠実に役割を果たしたことへの報酬でもある。
「モヤモヤ」は人間としての共鳴
一方で、胸に残るモヤモヤ。それは、あなたがルールの向こう側にある「利用者の生身の心」を、自分の一部として受け止めたからだ。
「隔離することで、あの人の最期の一筋の喜びを奪ってしまったのではないか」「認知所だからと言って、本能まで否定して良かったのだろうか」。
そんな風に、マニュアルでは決して埋められない「個人の尊厳」に触れてしまったとき、私たちの心には消えない影が落ちる。
でも知っておいてほしい。相手をただの「管理対象」としてではなく、体温のある「一人の人間」として見続けているからこそ、この痛みが伝わってくるのだ。
どちらの感情も、あなたには必要だ
「スッキリ」だけで突き進めば、介護は冷たい機械作業になってしまう。「モヤモヤ」だけに溺れれば、あなたはいつか責任の重さに押しつぶされてしまう。
大切いなのは、その両方を抱え持つことだ。ルールに従って、「隔離」という厳しい判断を下しながらも、心のどこかで「ごめんね」とつぶやく。
その矛盾こそが、先人たちが守り抜いてきた「介護の品格」ではないだろうか。
スッキリした人も、モヤモヤしている人も、どちらも間違っていない
ルールで身体を縛り、モヤモヤで心を守る。その両方の視点があるからこそ、施設はただの収容所ではなく、人間が人間らしく最期を迎えられる「家」である「家」であり続けられるのだ。