介護の仕事をしていると
時々立ち止まってしまう
「問い」に出会う。
人はなぜ生きているのだろう…。
元気な時には
あまり考えない問いかもしれない。
しかし介護の現場では
この問いから逃げることが
出来ないのだ。
人の価値とは何なのか
例えば
寝たきりになった人。
言葉が出なくなった人。
認知症で家族の名前も
分からなくなった人。
社会の視点から見れば、
その人達は
「できないことが増えていく人」
となる。
すると時々、
こんな言葉が耳に入ってくる。
「生きていても仕方がない」
そんな言葉を聞くたびに
私は違和感を覚える。
本当にそうなのだろうか。
人の価値は
「できること」で決まるのだろうか。
石ころの話
昔、こんな話を聞いたことがある。
あるおばあさんが
外で石ころを拾って家に持ち帰っていた。
周りの人は聞く。
「どうして石なんて拾ってくるの?」
するとおばあさんは
こう答えた。
「外に居たら寒いだろう」
石ころに
意味はあるのだろうか。
おばあさんは
なぜ石を拾ってくるのだろうか。
一つだけ分かっていることは
おばあさんはそれを
大切なものだと思っている
ということ。

人の価値は役に立つことなのか
現代社会における人の価値は
・仕事
・生産性
・役に立つこと
で測られることが多いように思う。
しかし介護の現場にいると
別の景色が見えてくる。
寝たきりの人でも
その人がいるだけで
家族が安心することがある。
言葉が出ない人でも
その人の笑顔で
周りが救われることがある。
そこには
「役に立つ」という言葉では
説明できない価値があるのだ。
人は意味によって生きる
精神科医フランクル氏は
第二次世界で戦中に
強制収容所へ送られた。
極限の環境の中で
彼はあることに気づく。
同じ状況でも
生きる希望を失う人と、
生き続ける人がいる。
その違いは何なのか。
フランクルはこのように考えた。
人はどんな状況でも
人生の意味を見つけることが出来る。
身体が動かなくても、
環境が変わっても、
苦しい状況でも。

人は「生きる意味を見つける」ことで生きることが出来る
人は
意味を見つけることで
生き続けることが出来るという。
人はなぜ生きるのか
人はなぜ生きているのだろうか。
その答えを
私はまだ知らない。
しかし介護の現場にいると
一つだけ感じる事がある。
人は役に立つから生きているのではなく
そこに存在しているから
価値がある
のではないかということ。
もしそうだとしたら
介護の仕事とは
身体を支える仕事ではなく
人の存在を支える仕事
なのかもしれない。








