現場でよく耳にする「あの人はまだ、自分の障害を受容できていない」という言葉。だが、理学療法士として断言したい、教科書に書かれているような、階段を一段ずつ登るような綺麗な「障害受容」なんて、現場にはほとんど存在しない。
それは、私たちが作り上げた「支援する側に都合の良い幻想」に過ぎないのだ。
障害受容①




障害受容②




現場のリアルは、もっと「雑」で「泥臭い」
教科書を開けば、「ショック期」から「受容期」へと続く美しい一方通行の階段として描かれている。しかし、現実はどうだろうか。
冒頭の漫画で描いたCさんのように、ホタルの光に感動して前向きになった(受容した)はずの人が、翌日には心ない他人の一言で、再び激しい自己否定(否認・混乱)の底へと突き落とされる。
心は、振り子のように激しく行ったり来たりを繰り返す。ぐちゃぐちゃで、不条理で、予測不能。それが「生きている人間」のリアルな反応だ。それを支援者の物差しで測り、「あの人は受容が遅れている」と断罪するのは、あまりに傲慢ではないだろうか。
「受容」を求めるのは、誰のためか
なぜ、私たちは利用者に「早く障害を受け入れてほしい」と願うのか。厳しい言い方をすれば、それは「支援者側が楽になりたいから」だ。
- 受け入れてくれれば、リハビリの説明がスムーズに進む。
- 受け入れてくれれば、介護への拒否が無くなる。
- 受け入れてくれれば、私たちの支援の「正しさ」が証明される。
つまり、私たちが利用者に求めている「障害受容」の正体は、支援の効率化のための「服従」に近い。相手の心の痛みに寄り添うフリをして、その実、自分たちの負担軽減という「出口」へ強引に誘導してはいないだろうか。
理解ではなく、「体験」という劇薬
人は言葉(説得)では変わらない。理屈では納得しない。現実に触れる「体験」を通してしか、自分を更新できない生き物なのだ。
できないことを実際に経験し、失敗し、打ちのめされる。その「痛み」の泥臭い積み重ねの果てに、ようやく「今の不自由な自分」という現実が、少しずつ身体に馴染んでくる。
本来、リハビリテーションとは、その過酷な「現実とのすり合わせ(痛みを伴う体験)」を、そばで支え続けるプロセスであるはずだ。
「優しさ」という名の現実逃避
だが、現場に蔓延する「優しさ」が、そのプロセスを邪魔する。
「危ないから」と挑戦を止め、「時間がかかるから」と先回りして手を出す。安全という大義名分のもとに、利用者が「現実に触れる機会(痛みを伴う失敗)」を奪っていないか。失敗させないことは、成功のチャンスを奪うことと同義だ。
利用者を「出来ないという事実」から遠ざけておくことは、受容という名の救いから、相手を最も遠ざける行為なのである。
「受け入れない」という、真っ当な抵抗
考えてみてほしい。昨日まで当たり前に出来ていたことが、突然出来なくなる。未来が真っ暗になる。それを「はい、分かりました」と即座に受け入れられる方が、人間としてよほど不自然だ。
拒否し、怒り、泣き叫ぶ。それは彼らの心が「壊れている」からではない。心が必死に自分自身を守ろうとしている、至極まっとうな生存本能である。
私たちがすべきは、「受容させること」ではない。その荒れ狂う心の嵐を、ただ黙って肯定し、嵐が過ぎ去るのを共に待つことではないか。
結び:本当に「受容」出来ていないのは誰か
最後に、最も痛い問いを自分たちに突きつけよう。本当に受容できていないのは、利用者だろうか。それとも「思い通りにならない目の前の現実」を受け入れられずに苛立っている、支援者側だろうか。
「こうあるべきだ」という理想を手放せていないのは、私たちの方だ。利用者の受容を語る前に、まずは私たちが「不完全な現場」と「ままならない自分」を受容することから始めなければならない。
障害受容は、させるものではない。環境を整え、体験を支え、失敗を共に受け止める中で、いつの間にか「にじみ出てくる」ものだ。
あなたは今、相手の安全を守っているのか。それとも、相手が自分を取り戻すための「現実」を奪っているのか。その優しさが「毒」になっていないか、もう一度だけ自分に問いかけてみてほしい。
編集後記:真っ白な制服を脱ぐ、あなたへ
全11回にわたる「闘いの記録」を最後まで読み進めて頂き、本当にありがとうございました。
この連載で私が綴ってきたのは、教科書にあるような「理想のセラピスト像」ではありません。むしろ、現場の泥臭さや、時に抱いてしまうどす黒い感情、そして自分自身を守るための「ずるがしこさ」といった、表舞台では語られにくいリアルな本音です。
なぜこれほどまでに尖った言葉を選び続けたのか。それは、私自身が現場で何度も「ホワイトアウト」し、自分の心が摩耗していく恐怖を味わってきたからです。
介護・医療の現場は「聖域」ではない
世間は、私たちの仕事を「尊い」「素晴らしい」と称賛します。もちろんその通りですが、その美しい言葉の陰で、数えきれないほどの職員が「優しさ」という名の呪縛に苦しんでいます。
「もっと優しくしなければ」「もっと成果を出さなければ」…。
その真面目さが、いつしか自分を追い詰める猛毒に変わっていく。そんな光景を、私は幾度も目にしてきました。
だからこそ、あえて「悪役になれ」「受容なんて嘘だ」と、強い言葉を投げかけました。あなたの尊い優しさを、誰にも、何にも搾取させないために。
タイムカードの向こうにあるもの
この連載を読み終えたあと、あなたは再び現場へと向かうでしょう。そこには相変わらず鳴り止まないナースコールがあり、不条理な怒号や、理不尽な責任が牙を剥いて待ち構えているかもしれません。
でも、今のあなたには「演出家の視点」があり、心の境界線を守る「盾」があります。
どうか、仕事が終わってタイムカードを切った後は、現場の重荷をすべて更衣室に置いていってください。真っ白な制服の下にある、あなた自身の「生(なま)の人生」を、何よりも大切にしてほしいのです。
あなたが、あなた自身の人生を愛せて初めて、誰かの人生の伴走が出来る。私はそう信じています。
最後に
この連載が、過酷な現場で今日を戦い抜くあなたの、小さな「灯火(ともしび)」になれたなら、これ以上の喜びはありません。
私たちは、別々の場所に立っていても、同じ「命」の現場で繋がっている戦友です。もし、また心が折れそうになった、らいつでもこの場所に戻ってきてください。
今日もお疲れさまでした。さあ、深く息を吸って。あなたの物語の続きを、颯爽と歩んでいきましょう。
(筆者より魂を込めて)








