一日が5分になる施設と、外部クロックによる強制駆動
「新しい記憶が書き込まれない記憶媒体において、時間は長さを失う。施設が提供する隙のないスケジュールは、彼らの時間を豊かにするのではない。残酷なまでに高速で圧縮(ZIP化)しているのだ」
朝のお迎えから始まり、バイタルチェック、入浴、昼食、レクリエーション、そして夕方の送迎。 デイサービスというシステムは、分刻みのスケジュールで稼働する巨大なベルトコンベアである。スタッフたちは「充実した一日」を提供しようと、休むことなく刺激(タスク)を入力し続ける。
だが、そのベルトコンベアに乗せられた彼らは、夕方の送迎車に乗り込む直前、決まって不満げにこう口にする。 「ついさっき来たばかりなのに、もう帰るのかい?」
スタッフは苦笑いしながら「朝からずっと一緒にいたじゃないですか」と返す。しかし、これは彼らのボケでも、単なる時間の勘違いでもない。脳というハードディスクの書き込み機能(記銘力)が破壊されたシステムにおいて発生する、極めて物理的な「時間の圧縮現象」である。
健常者の脳は、新しい出来事や感情の起伏をログとして保存し、振り返ることで、時間の「長さ(ボリューム)」を認識している。 しかし、新しいデータが一切保存されない彼らにとってはどうだろうか。入浴で感じた温かさも、昼食の味も、レクリエーションで笑った記憶も、実行された瞬間にキャッシュメモリから消去される。
中継地点となるデータが残らない以上、朝の「到着」というログの次は、夕方の「帰宅」というログへと強制的に直結してしまう。8時間という膨大な処理時間は、中身のデータがすべて欠落した空(から)のフォルダとなり、結果として「5分」という極小サイズにまで圧縮されてしまうのだ。
施設が良かれと思って提供する手厚いスケジュールや絶え間ないイベントは、皮肉なことに、彼らの記憶の消去サイクルを物理的に加速させ、体感時間をさらに短く切り詰める「外部クロック(強制駆動システム)」として働いている。何もしない空白の時間がもたらす不安から彼らを遠ざける代償として、システムは彼らの一日を容赦なく短縮していく。
観測者は、手拍子と歌声が響く賑やかなデイルームの片隅で、ただ壁の時計を見上げている。
「今日も一日、楽しかったですね」というスタッフの明るい声掛けは、すでに存在しないデータへの空虚なアクセスに過ぎない。彼らの内面には、楽しかったという余韻すら残っていないのだから。
スタッフがどれほど献身的にイベントを用意し、笑顔を作ろうとも、そのデータが彼らのハードディスクに定着することはない。 観測者にできるのは、記憶を失い続ける彼らの肉体を、ただ決められたスケジュールの歯車に乗せ、次のステーションへと運び続けることだけだ。 経験は一切保存されることなく、彼らの一日は今日も無慈悲に「5分」へと圧縮されていく。








