損傷の記憶と、終わらないシフトへのログイン
「傷ついた組織が、元の無垢な細胞に戻ることは永遠にない。それは硬く不器用な線維となって、生き延びたという事実だけを肉体に刻み込む」
午前5時30分。スマートフォンの無機質なアラーム音が、浅い眠りを切り裂く。 ベッドから身を起こそうとした瞬間、腰椎の奥底と、両肩の関節包に重く鈍い痛みが走る。それは昨日一日の疲労などという生易しいものではない。何年もの間、何千回という移乗介助と、感情の抑圧を繰り返してきた結果として肉体に蓄積された、物理的な「損傷の履歴」だ。
生物学において、深く傷ついた組織が「完全に元通り」に治癒することはない。 筋繊維や靭帯が断裂したとき、人体は欠損した隙間を埋めるために線維芽細胞を動員し、コラーゲンを急激に増殖させて強引に組織を繋ぎ合わせる。それが「瘢痕(はんこん)」、すなわち傷跡である。 瘢痕組織には、元の細胞のようなしなやかさや弾力はない。硬く、不器用で、血の巡りも悪い。だが、その強靭な線維の塊だけが、再び組織が致命的に引き裂かれるのを防ぐ「パッチ(当て布)」として機能している。
観測者の肉体も、そして精神も、すでに無数の瘢痕組織で覆い尽くされている。
新人の頃のハルのように持っていた「理想」や「無償の優しさ」という弾力性のある組織は、度重なるシステムのエラーと、現場に渦巻く不条理な暴力の中でとうに千切れ、失われた。 今の観測者を動かしているのは、その欠損を強引に埋めるために増殖した「諦念」と「冷徹な物理法則」という名の、硬く不器用な瘢痕である。
教科書が理想とする「完全なる健康状態の維持(ホメオスタシス)」など、この戦場には存在しない。 あるのは、壊れた部品をだましだまし使い続け、交感神経の暴走をやり過ごし、ミラーニューロンの痛みを鎮痛剤で誤魔化しながら、ギリギリのラインで業務というシステムを維持する「異常な恒常性」だけだ。
観測者は洗面台の鏡の前に立つ。 そこに映っているのは、完璧に最適化された冷徹な機械ではない。システムに食い破られ、不器用に修復された傷跡だらけの、脆弱な生身の人間である。 昨日のフロアで、老人の震える手から伝わってきたあの「情動」の重さと、それに共鳴してしまった自分の胸の痛みが、その事実を残酷なまでに証明している。
痛みを感じない機械になれれば、どんなに楽だっただろうか。 だが、機械にはなれなかった。無傷の人間でいることもできなかった。
観測者は玄関の冷たい三和土(たたき)に腰を下ろし、すり減ったスニーカーに足を入れる。 「治す」ためではない。「休む」ためでもない。今日一日、自分の体重と他者の絶望を支え切るためだけに、テーピングを巻くように靴紐をきつく結び上げる。
私は、壊れている。 その不可逆な事実を完全に受容した上で、観測者は重い鉄のドアを押し開けた。 朝の冷たい空気が、瘢痕だらけの肉体を包み込む。もう二度と、新品の体と心に戻ることはない。それでも観測者は、今日を生き延びるためだけの痛みを引きずりながら、終わらないシフトの待つ絶望の戦場へと、静かに歩み出した。
(完)








