【臨床所見:終わらない足音と、破綻した見守りの数式】
廊下に響く、ペタペタという足音。出口を求め、あるいは「何か」を求めて休むことなく歩き続ける利用者。
「危ないから座っていてください」「転んだら大変ですよ」
私たちがそう言って制止するのは、夜勤帯に限った話ではない。日勤帯であっても、入浴介助や排泄介助でスタッフが極限まで削られている中、予測不能な動きで歩き回る利用者は、フロアの監視体制を完全に崩壊させる。
「環境を整えて、満足するまで歩かせましょう」というマニュアルは、現場では通用しない。なぜなら彼らは疲労感覚が鈍麻しており、腑に落ちる目的が達成されるまで歩き続けるからだ。結局、事故を防ぐには一人の職員がマンツーマンで張り付くしかないが、職員一人で二十人を回すシステムにおいて、その数式は最初から破綻している。
本稿は、この「絶対的な人員不足」と「歩きたい本能」が激突した結果、日本の介護現場が必然的に生み出した「誰も言えないタブー(暗黙の解決策)」の解剖記録である。
【第1章】「拘束ゼロ・事故ゼロ」という社会のダブルバインド
現場に押し付けられた絶対矛盾
「身体拘束は絶対にしてはならない(人間の尊厳)」 「絶対に転倒させてはならない(安全管理)」
国も、施設の上層部も、そして家族も、この二つの美しい理想を声高に叫ぶ。しかし、人員が圧倒的に足りない現場において、予測不能な徘徊者の「自由」と「安全」を両立させる魔法など存在しない。
「自由に歩かせてほしい、でも絶対に怪我はさせないで」というこのダブルバインド(二重拘束)は、現場の介護職に「素手でライオンを無傷で捕まえろ」と命令しているに等しい暴挙である。
マンツーマン見守りという名の幻想
環境調整(超低床ベッドやルート確保)など、とうの昔にやり尽くしている。それでも彼らは歩き、他室へ侵入し、転倒する。 結局のところ、徘徊を安全に成立させる手段は「マンツーマンの同行」しかない。だが、一人の徘徊者にスタッフが付きっきりになれば、その間、残りの数十人の利用者は完全に放置されることになる。人手不足の現場においては、一人の自由を守ることが、フロア全体のリスクへと波及するのだ。
【第2章】現場を支える「サイレント拘束」の正体
「ずり落ち防止」という名の見えないロープ
人員の数式が破綻している以上、現場がフロア全体を崩壊させないための選択肢は一つしかない。「物理的に立ち上がれない状態を作ること」である。
しかし、紐で縛ることは法律と倫理が許さない。厚労省のガイドラインでも、しっかりと明記されている。そこで現場は、追い詰められた結果として、「拘束と自覚されにくい行為」へ少しずつ滑り落ちていった。 車椅子のブレーキを本人の力では解除できないほど異常に固く締めること。「ずり落ち防止」と称して、お尻が深く沈み込み、自力では絶対に立ち上がれない角度のクッションをはめ込むこと。テーブルと車椅子の間隔をミリ単位で詰め、物理的なバリケードを作ること。
一人の職員が数十人を見るという破綻した数式の中で、これ以外の選択肢を持てなかった現場が、日本中に存在することもまた事実であることを、ここに記録しておく。
永遠に更新される「一時的な同意書」
さらに、「一時的な緊急避難」として交わされる身体拘束の同意書。建前上は「状態が落ち着くまでの数日間」とされているが、認知症による徘徊が数日で治るはずがない。 結果として、その同意書は事務的に、永遠にループ更新され続ける。これが「徘徊問題」を解決できなかった施設における、表在化されない残酷な現実なのだ。
「理由の分からない閉じ込め」に苦悩する利用者
そして当然ながら、その空間で最も強く自由を失っているのは、利用者本人である。
「危ないから座っていてください」と言われ続け、自分では立ち上がれず、行きたい場所にも行けない。本人にとっては、それが”安全”ではなく、「理由の分からない閉じ込め」にしか感じられない瞬間もある。
在宅でも施設でも、「事故を防ぐ」という正義は、ときに本人の世界そのものを静かに狭めていく。
【第3章】善意のツールが「凶器」に変わる時
なぜあなたの工夫は現場で捨てられるのか
この「グレーゾーンの拘束」によってギリギリの均衡を保っている現場において、リハビリ職や新人が良かれと思って持ち込む「自立支援ツール」は、時として現場を崩壊させるトリガーとなる。
(※詳しくは当サイトの基本理念【重要】なぜ100均素材は「現場」に捨てられるのか? を参照してほしい)
「本人が自分でブレーキを外せるように」とサランラップの芯で作った延長レバー。「立ち上がりやすいように」と調整した座面の高さ。 これらはリハビリの視点では「正義(残存機能の活用)」だが、見守り不可能な介護職からすれば、「いつ勝手に動き出すか分からない時限爆弾のスイッチを、本人の手に持たせる行為」に他ならない。だから、現場の介護職は生き残るために、その善意のツールをゴミ箱に捨てるのだ。
結び:「縛らない」という綺麗事を捨て、痛みを抱えろ
日本中のどこを探しても、人員不足の現場における「徘徊問題」を、綺麗に解決できる魔法の答えを持つ施設を私は知らない。
もしあなたが今、「見守りきれずに、グレーな拘束で利用者の動きを封じている自分」を責めているなら、その必要はない。あなたは残酷で怠慢なわけではない。責めるべきは、一人の職員に数十人を見させるという、この破綻したシステムである。そんな中で、あなたはフロア全員の命を明日へ繋ぐため、泥を被って「見えないロープ」を引いているだけだ。
「本当は歩かせてあげたい」「縛り付けたくない」という痛みを麻痺させず、ただ作業として車椅子に押し込む「作業員」に成り下がらないこと。 どうしようもない矛盾の中で、せめて「1日5分」だけでもそのロープを解き、一緒に歩く時間を捻出する泥臭い試行錯誤。
それでも現場は今日も、その矛盾を誰にも解決されないまま抱え込み、ギリギリの均衡の中で回り続けているのである。
【追記:答えを持たない筆者のモヤモヤ】
この社会システムのバグにすり潰され、被害者として苦しんでいる介護職が日本中にいることは、嫌というほど知っている。
私自身、理学療法士として「安全(拘束)」と「機能維持」という、絶対に両立しない矛盾の舵取りを身をもって味わってきた。これまで様々なアイデアや価値観を現場に投下し、アプローチを試みたが、結局のところこの狂った徘徊問題に対する「答え」は見つからなかった。
じゃあ、答えを出せない私に何ができるのか。そう考えた末に行き着いたのが、当サイトのベースとなる「免責事項(現場の5つの正義の激突)」の記事であり、この裏カルテだ。
現場の残酷な構造を解剖し、あなたが社会システムの被害者であることを論理的に証明したところで、明日の夜勤が楽になるわけではない。 ただ、同じシステムの中で絶望し、苦しんでいる人間が日本中にいるという「事実」を知ること。それだけで、あなたの胸の奥にあるモヤモヤがほんの少しでも減るのではないかという期待だけで、これを書いた。
偉そうに現場を解剖してはいるが、結局のところ一番モヤモヤしているのは、答えを提示できない無力な私自身なのだろう。 私は徒党を組んで傷を舐め合うような事が大嫌いなのだが、この「答えのないモヤモヤ」だけはここに置いておく。







