【臨床所見:平和なオアシスに潜む、ドロドロの階級闘争】
「あんなボケた人たちと一緒に座らせないでよ。私はまだあそこまで酷くないわ」 「ちょっと、そこは私がいつも座っている席よ! どきなさいよ!」 「あの女、最近やたらと〇〇さん(男性利用者)に色目を使ってるわね…」
デイサービスのフロアは、外から見れば「お年寄りが和気あいあいと過ごす、平和なオアシス」に見えるだろう。 しかし、現場で働くスタッフは知っている。そこは決して平和な空間などではない。身体の自由や社会的地位を失った高齢者たちが、最後に残った「プライド」と「人間としての業(エゴ)」を剥き出しにしてぶつかり合う、ドロドロの戦場だ。
認知機能の差によるマウンティング(階級闘争)、自分の居場所への執着(テリトリー問題)、そして教科書が目を背け続ける、疑似恋愛や嫉妬(性のタブー)。
本稿は、この「利用者同士のトラブル」に巻き込まれ、皆を仲良くさせようと疲弊している真面目なスタッフたちへ贈る、第三のパラダイムシフトである。
【第1章】「学級委員長」という独りよがりの呪い
利用者同士でトラブルが起きたり、険悪な空気が流れたりしたとき。 真面目なスタッフほど、「なんとかして間を取り持ち、みんなに仲良くしてもらわなければ」と、必死に間に入って調停しようとする。
なぜなら、私たちは無意識のうちに「デイサービス=小学校の仲良し学級」であり、スタッフは「皆をまとめる担任の先生(あるいは学級委員長)」であるべきだと思い込んでいるからだ。
しかし、冷静に考えてみてほしい。 相手は、80年、90年という激動の時代を生き抜き、酸いも甘いも噛み分けてきた、エゴイスティックな「大人の完成形」である。 そんな彼らの凝り固まったプライドや、本能から来る嫉妬心を、親子ほども年の離れた若いスタッフが「まあまあ、皆で仲良くしましょうよ」などという薄っぺらい言葉でコントロールできるわけがないのだ。
「仲良くさせられない自分は、スタッフとして力不足だ」と悩むのは、今日で終わりにしよう。 彼らを「仲良し学級」の枠に押し込めようとするから、あなたは苦しいのである。
【第2章】パラダイムシフト|『サファリパーク理論』
「学級委員長」のバッジを外し、代わりに「サファリパークのレンジャー(監視員)」の帽子を被れ。 これが、私からの新しい視点の提案だ。
サファリパークにおいて、異なる種族や個体が威嚇し合い、ボスが群れにマウントを取り、繁殖期の個体たちが縄張りやパートナーを巡っているのを見て、「みんな仲良くしなさい!」と間に割って入るレンジャーはいない。
なぜなら、それが彼らのありのままの「生態系」だからだ。誤解を恐れずに言えば、 デイサービスのフロアもまた、一つの濃密な「人間行動の生態系(サファリ)」である。
理性が薄れ、本能が優位になった空間では、人間が最後まで保持し続ける”社会性”や”順位性”が、オブラートを剥ぎ取られた状態で露出する。
「私はあそこまでボケていない」という認知機能による序列化。「そこは私の席だ」という空間支配。異性利用者への執着や嫉妬。
それらは性格の悪さではない。人間という生物が、動けなくなるその瞬間まで「自分の存在価値(アイデンティティ)」を確認し続けようとする、極めて根源的な生存本能なのだ。
【第3章】レンジャーとしての「冷徹な介入ルール」
サファリパークのレンジャーであるあなたの仕事は、異なる性質を持つ個体たちを無理やり「親友」にすることではない。ジープの上からその生態系を冷静に観察し、「致命傷(流血沙汰や、フロア全体の物理的崩壊)を防ぐこと」だけが唯一の任務だ。
陰口を叩き合っていようが、睨み合っていようが、感情的にならずにプロの目でプロファイリングすればいい。
「お、今日はAさんがBさんにマウントを取って、群れのアルファ(上位個体)になろうとしているな」 「CさんはDさんに強烈なジェラシーを燃やすことで、むしろ生命力を活性化させているな」と。
スタッフが介入すべきは、彼らのエゴが暴走し、物理的な暴力に発展しそうになった時や、ターゲットにされた弱者が精神的に完全に潰されそうになった「危険水域」に達した時だけでいい。
その時も「仲良くしてください」などと諭す必要はない。「ハイ、そこまで。ルール違反です」と、レンジャーとして物理的に距離を引き離す(席を変える、利用曜日をずらす)という機械的な環境調整なのである。
【結び】フロアという”剥き出しの社会”を見守る人へ
デイサービスのフロアは、決して「みんな仲良しの理想郷」ではない。
妬み。
プライド。
縄張り意識。
恋愛感情。
派閥。
そこには、私たちが一般社会の中で抱えているものと同じ泥臭い感情が、むき出しのまま存在している。だが、それは醜さであると同時に、彼らが「まだ人間として、社会の中で生きている」という強烈な生(せい)の証でもある。
「私はまだあの人とは違う」
「あの席に座りたい」
「あの人ともっと話したい」
その醜くも切実な感情の動きは、老いによっても完全に消え去ることはなかった、個としての”その人らしさ”の最後の残響なのだ。
スタッフの役割は、そのダイナミズムを無理に「思いやり」という型にはめて矯正することではない。感情同士がぶつかり合うこの小さな縮図が、致命的な破綻を起こさないよう、適切な距離と安全を保ちながらコントロールすることだ。
人間は、老いてもなお、人間関係の摩擦の中でしか生きられない。今日もまたフロアのどこかで小さな嫉妬が生まれ、小さな優越感が生まれ、小さな愛憎が火花を散らす。
そしてその騒がしく不格好な感情の動きこそが、その空間がただの「隔離部屋」ではなく、「生きた社会」であることを証明しているのだ。
*本稿はスタッフ個人のマインドセットの変革を目的としたものであり、制度上の対策については別稿にて詳述する。







