



丸椅子や洗濯カゴ、果ては孫のおもちゃの押し車まで。
冒頭の漫画で描いたように、訪問リハビリの現場に出ると、利用者が独自に編み出した「サバイバル術」に驚かされることが多々ある。
教科書的に見れば、これらは転倒リスクの高い「不適切な行為」であり、ただちに安全な四点歩行器へと修正指導すべき対象だ。病院勤務時代の私であれば、間違いなくそうしていただろう。
しかし、彼女たちの小さな家屋や、極度に曲がった背中(円背)といった現実を前にすると、その「非常識な道具」こそが見事なまでの最適解であったりする。
介護や医療の現場に立つ私たちは、知らず知らずのうちに重い鎧(よろい)をまとっている。それは「こうあるべきだ」「これが正しい」という、世間一般や教科書が作り上げた「常識」という名の鎧だ。
しかし、その鎧こそが、あなたの心を無駄に締め付け、現場で疲弊させている最大の正体かも知れない。
「常識」という名の、古びた地図を捨てる
常識を疑え。
この言葉は、単なる反抗ではない。在宅現場で起きる現実は、常に教科書の数歩先を行っているからだ。
「認知症の方に、論理的な説明が通用しない」「リハビリを拒否する人に、機能回復の重要性を説いても響かない」。
ここで「なぜ正しいことを言っているのに分かってくれないのか」と憤るのは、あなたが「常識」という古びた地図を信じ切っているからだ。一度、その地図を破り捨ててみてほしい。
「正しくないといけない」という執着を手放したとき、初めて目の前の相手の「生(なま)の姿」が見えてくる。
価値観が溶けていく、その「心地よさ」
自分を縛っていた「常識というものさし」を捨てたとき、奇妙な感覚が訪れる。それまで「問題行動」だと思って必死に正そうとしていたことが、ただの自然な「現象」に見えてくる。「失礼な態度だ」と腹を立てていたことが、ただの「脳のバグ(症状)」だと俯瞰できるようになる。
境界線が溶けていくのだ。管理する側とされる側。正しい人と、正しくない人。そんな二分法が消え、「まあ、このままでもいいじゃないか」という静かな肯定感が心を満たしていく。この「価値観のメルトダウン」こそが、過酷な現場で私たちが辿り着く、一つの聖域(サンクチュアリ)である。
生存戦略:不完全な自分を、面白がる
常識を疑うことは、相手だけでなく「自分を許すこと」でもある。
「今日は完璧な介助が出来なかった」「理不尽な態度に、少しイライラしてしまった」。
そんな自分を「専門職たるもの、こうあるべきだ」という鋭い刃で裁くのを、もうやめてみよう。
「今日の私は、少し人間味が溢れていたな」「こんな予定不調和な展開も、ドラマとしては面白いじゃないか」
そんな風に、不完全な状況を一段高いところから「面白がる」視点を持つこと。それが、感情の荒波に飲み込まれず、自分という「灯火」を絶やさないための、最も懸命な振る舞いなのだ。
結び:透明な心で、現場に立つ
常識を疑い、価値観を溶かした後に残るのは、空っぽの自分ではない。どんな変化も受け流し、どんな相手もそのまま受け入れる。しなやかで透明な「あなた」だ。
「正しさ」という武器を置き、ただそこに在る。そのとき、あなたの放つ凪(なぎ)の空気は、利用者にとっての、そしてあなた自身にとっての、最高の「救い」に変わる。
価値観が溶けていく心地よさを、恐れずに味わってほしい。その先にあるのは、もう誰にも、何にも縛られない、自由なあなたの始まりなのだ。








