頑張る人がいる限り、
この構造は変わらない
職場には、必ずいる。
あまり頑張らない人。
- 最低限のことしかしない
- 自分からは動かない
- 面倒なことは避ける
その姿を見て、
こう感じたことはないだろうか。
「なんであの人はやらないんだろう」
そしてその横で、
- 気付いた人が動く
- 真面目な人がフォローする
- 優しい人が穴を埋める
気が付くと、
同じ人ばかりが疲れている。
「頑張らない人=悪い」という前提
多くの職場では、
頑張ることが良いことで、
頑張らないことは良くないこと
だとされている。
これは一見、正しい。
でもこの前提がある限り、
ある現象が見えなくなる。
それは、
「なぜその状態が成立しているのか」
という視点だ。
頑張らない人が成立する理由
少し冷静に見てみる。
頑張らない人がいる。
でも職場は回っている。
なぜか。
答えは単純だ。
誰かが頑張っているからだ。
つまり、
頑張らない人は単独では成立しない。
周りの誰かが
その分を引き受けているから
成立している。
では、問題はどこにあるのか
ここで少し視点をずらす。
問題は、
頑張らない人の”性格”なのだろうか。
それとも、
その状態を許している”構造”なのだろうか。
例えば、
頑張らないことで不利益がある職場では、
人は自然と動く。
でも、
頑張らなくても成り立つ職場では、
人はその形に適応する。
つまり、
人は環境に合わせて
振る舞っているだけだ。
頑張る人が、構造を支えている
少し厳しい言い方をする。
頑張る人がいるから、
頑張らない人が成立する。
そしてもう一歩踏み込むと、
頑張る人がいる限り、
この構造は変わらない。
なぜなら、
問題が表面化しないからだ。
- 誰かがフォローする
- なんとか回る
- 大きなトラブルにならない
するとどうなるか。
「このままでいい」と思われる。
頑張ることが、問題を隠すこともある
ここが一番見えにくい部分だ。
頑張ること自体は、悪くない。
むしろ必要だ。
でも、
頑張りすぎると
問題を”なかったことにしてしまう”
という側面がある。
- 本来は回らないはずの人数
- 偏っている業務量
- あいまいな役割分担
それを、誰かの努力で埋めてしまう。
結果として、
構造はそのまま残る。
「頑張らない」は、一つの適応かもしれない
ここで見方を変える。
頑張らない人は、
単にやる気がないのだろうか。
もしかすると、
その構造に”適応している”
だけかもしれない。
- やっても評価されない
- やらなくても大きく困らない
- 頑張るほど負担が増える
この条件が揃えば、
人は自然とこうなる。
「あいまいに頑張らない…」
これは怠慢ではなく、
ある意味で合理的な行動でもある。
本当に考えるべきこと
ここまでくると、問いは少し変わる。
「どうすればあの人を動かせるか」
ではなく、
「なぜこの状態が続いているのか」
に目を向ける必要がある。
- 役割は明確か
- 負担は偏っていないか
- 評価は機能しているか
そこを見ない限り、
誰かを責めても状況は変わらない。
それでも、あなたはどうするか
ただし、
ここで終わると少し冷たすぎる。
現場にいるあなたにとっては、
「構造の問題だ」と分かっても
明日からの仕事は変わらない。
だから最後は、
少しだけ個人の話をする。
あなたは、
どこまで引き受けるのか。
全部やるのか。
気付いた分だけやるのか。
あえてやらないのか。
それは、
正確ではなく選択だ。
最後に
頑張らない人が悪い。
そう思うと、少し楽になる。
でもそれは、
問題を単純化しているだけかもしれない。
本当はもっと静かに、
構造が人をそうさせている。
そしてもう一つ。
頑張る人ほど、
その構造を支えてしまう。
それを知った上で、
どう動くか。
そこにしか、
自分を守る余白はないのだから。
