自分は今、毎日続けている事がある。
毎朝30分早く出勤して、駐車場のゴミ拾いをしているのだ。
新しい職場に移ってから、かれこれ4か月続いている。
なぜそんなことをしているのかと言えば、何となく拾ったほうが良いような気がするから。
職場の共用駐車場なのだが、だだっ広くて1周すると小さなゴミ袋一杯になる。
別に自分がしなくても、掃除のおばちゃんがいるからやらなくて良いのだけれども…。
毎日、沢山のタバコのポイ捨てがある。
ジュースの飲みかけ、食べ残し弁当、おむつ(何で?)。
ガム(これは勘弁してほしい)。
それにしても、ゴミ拾いを始めてから思うことがある。
「ゴミを拾う人」と「ゴミを捨てる人」。
この2種類の感覚の違いは何だろうと…。
少し前に、サッカーワールドカップの試合後にゴミ拾いをする日本人が世界中から賞賛された。
一方で、渋谷のハロウィンでゴミをまき散らす日本人が非難を浴びた。
ゴミを大切にしているゴミ屋敷の住人もいる。
そういう自分も、ゴミ袋とゴミ取りバサミを持っている時しか拾ってないかも知れない。
買い物に行った先で、タバコの吸い殻を見つけても拾わない。
手が汚れるし、拾っても捨てる所が見つからないから。
矛盾している...?
一応、今は自分なりの理由をつけてゴミ拾いをしている。
「のりしろの仕事」という概念だ。
「誰がやっても良い仕事」であって「誰の役割でもない仕事」、でも誰かがやらないとそれが新しいTASKとなって組織運営を圧迫する、そんな考え方だ。
人間、何か信じるものがないと行動できない。何か理屈をつけないと行動できない。
無償の愛でゴミ拾いができれば、それに越したことはないのだが、そこまで純粋な達人になれない。
果たして自分は、ゴミ拾いの先に何を求めているのだろうか。
いま使っているゴミ袋、ダイソーで20枚100円。
1枚5円。
自腹。
答えは出ないけど、一度乗った船である。
5円(ご縁)があるように、今日もゴミ拾いを続けてみよう。
いつか答えが見つかるはず…?。