4コマ漫画で考えるリハビリ脳の作り方

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人間関係論シリーズ

ぽっくり死ぬことのリアル ~死因に関する事情聴取を受けました~

 

先ずは4コマ漫画『ぽっくり死にたい』から…。

 

 

「松ぼっくり」と「ぽっくり」

先日の老人ホームでの出来事。利用者様と一緒に「松ぼっくりツリー」を作成した時のお話しから。

利用者Aさんに、松ぼっくりの飾り付けを手伝ってもらったのだが、細かい作業のため上手く出来ない。「もうやめた、手が動かなくて駄目だ。もうわたしゃぽっくり死にたいわ」。松ぼっくりぽっくりを掛けた訳では無いと思うが、相変わらず口が悪いなぁと苦笑い。

この「ぽっくり死にたい」という言葉は、「ぽっくり信仰」「ピンピンコロリ」などと表現されるように、多くの人たちの「魔法の言葉」になっているようだ。

 

 

ぽっくり死んだ人はどう思ってるのだろうか

生前から「ぽっくり死にたい」と言ってた人にとっては、自分は良い死に方をしたなぁと思っているのかも知れない。

その裏には、「病気で苦しむくらいなら…」「家族に看病されて迷惑をかけるくらいなら…」「障害をもって不自由な生活するくらいなら…」など、様々な思いが見え隠れしている。

 

ぽっくり死にたいと言う利用者

 

 

残された家族はどう思うのか

私の実体験をご紹介しよう。父親が文字通り「ぽっくり逝った」のだが、48歳、急性心不全、出張先のホテルで他界した。

思い返せば、もう25年も前の話だ。その日は父親が福島へ出張、母親は早くに他界していたので、妹と2人で家にいた。朝6時頃だっただろうか。居間のこたつで寝ていたら、突然電話が鳴り響いた。「こんな朝早くに誰だ」と思いながら受話器を取ると、相手は他県の警察署からだった。「あなたのお父さんと思われる人の亡骸が保管されています。至急確認にいらして下さい」…。

理解するのに時間が掛かったのだが、車を飛ばし高速2時間かけて警察署へ赴いた。刑事部?に通されて椅子に座っていると、いかにもな中年太りで角刈りの刑事さんが「これがあなたのお父さんのものかどうかを確認して下さい」と、ビニール袋から遺留品を取り出し、テーブルの上に一つずつ並べていく。見慣れたズボンとゴルフシャツ、ベルト、財布、免許証、車のキー。そして決め手は、特徴的な「黒縁の眼鏡」。

 

更にそれから事情聴取みたいなのが始まり、「あなたは昨日どこにいましたか」「関係性は良好ですか」「通院歴は」など事細かに聞かれた覚えがある。一通りの手続きが済むと、「亡骸は地下に保管してあります。このまま置いておく訳にはいかないので、霊柩車を手配しますね」と言われ、後ろに霊柩車を従えて自宅まで帰った。

車の中で、まず最初に思いついたのが「市役所に行って死亡届を出さなくちゃ!」だった。「その前に泣き崩れろよ!」と自分に突っ込みを入れたくなるのだが、ショック期とはこういうものなのだろうか。頭の中でぐるぐると各種手続きを考える自分がいた。その後も不思議と悲しみが沸かぬまま現在に至る。悲しむタイミングを逃したような気がする。

とにかく、その後の色んな手続きが大変だった。「葬儀の手配」「保険」「葬儀出席者案内」「名義変更」「相続税」「通帳」「ローン」「実印」その他諸々。突然のことで親から何も聞いて無い訳だから、どこから手を付けてよいのか途方にくれたのを思い出す。

 

 

自宅でぽっくり死ぬとどうなるのか

自宅で突然亡くなった場合、残された家族の対応はやはり大変なようだ。以下「かながわ葬儀ネット」様より。

『病院以外の場所でのご逝去の場合、かかりつけの主治医がいる場合には病院に連絡します。主治医がいない場合は警察または119に連絡し、警察官または救急隊員の指示に従います。突然死・事故死または不明死などは警察による検死が必要になります。場合によっては行政解剖または司法解剖が行われ、死因が特定されると死体検案書が作成されます。検案後にご遺体を引き取ることができます(注意警察または救急車が来るまでの間、ご遺体には触ってはいけません)』。
(引用 ttp://www.jinsoukyou.com/flowchart/flowchart3.html)

 

以下「SPOTLIGHT」様より。

『警察ご一行が到着。1名が祖母に祖父のことを根掘り葉掘り尋ねる。発見時の様子、生前の通院歴、鬱病の症状はなかったか、過去の学歴・職歴、資産、通帳の保管場所など(おそらく自殺の可能性がないことを確認するため)。その他の警察官が敷地内、屋内、祖父の遺体を隅から隅まで徹底調査(おそらく強盗の可能性がないことを確認するため)』
(引用 ttp://spotlight-media.jp/article/159924594406172598)

 

 

なかなか死なせてくれない現代医療

ぽっくり死にたくても、死なせてくれない現代医療の事情もあるようだ。以下、宮本Drの書籍より。

『人は必ず死ぬ。当たり前だと分かっていても、いざ自分の親の死に直面すると、本人の意志に関係なく家族は延命措置を強く希望するのが常だという。医師は家族の要望に沿うべく「できるだけ生かす」ことに尽力する。内心では疑問に思っていても、議論する余裕がないのが実情らしい。寝たきり老人を抱える家族側の事情もある。「命があるのに見捨てた」と後ろ指さされたくない思いや、親の年金を当てにして生活しているため長生きして欲しい動機もある』

 

 

まとめ

もしかして「ぽっくり死にたい」というのは、自己中心的な発想なのかも知れない。「死」は必ず周りの人たちに、何らかの影響を与える事になるのだ。そこで私が思う1番良い方法は、「終活」をすること。これは平成21年に週刊朝日が造った言葉だそうだが、葬儀や墓など人生の終焉に向けての事前準備のことを指す。ぽっくり死にたいなら今のうちに終活して、周りの人達に面倒を掛けない準備をしておこう。

もう一つだけ、私の実体験から。「ぽっくり死ぬ」と、残された家族に悔いが残る。どんな思いで他界していったのかが知りたい。この世に未練が無かったのかどうか…。

お墓の前で亡き人の気持ちを想像するイラスト

 

ご精読ありがとうございました

 

道端に落ちている石ころ、この「石ころ」に存在意義はあるのだろうか。この世に生きる意味や自分自身の存在意義を考える。